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眼球譚  ジョルジュ・バタイユ(オーシュ卿)

1928年にオーシュ卿(便所卿)の名前で地下出版されたエロティシズム小説

エロスとタナトス

異端文学

眼球譚_初稿

初読時は直球エロに目がいって、まったく面白くなかったが

久々に再読したら、以前は気づかなかったことに目がいく。面白い



まず文章が美しい

訳文の妙だろうが、原文も精緻で美しいのだろうな、と想像できる




この本を、まだ自分なりに咀嚼できていない。

以下、思うことの羅列



性に奔放な主人公とシモーヌが、マルセルに囚われていく様は、儚く思える。

基本的に生産の行為でありながら、出産ではなく快楽を追求する主人公とシモーヌの行い。

開放的と呼んでもよいはずなのに、

マルセルに囚われて以降は、サディズムと変態の極致といえる淫行ですら、性の解放というより

隠蔽され、ひどく閉じた印象を持つ。

マルセルがこもった、牢獄と化したにわか作りの便所の中に、

二人の生と死、性と死、聖と死が。




眼球――球体のメタファーに関しては、気づかない訳ないほど繰り返しでてくる。

 自殺したマルセルの顔(当然ながらそこには目がある)に小便をかけるシモーヌ、

 スペインで死んだ闘牛の睾丸を皿にもり、またがるシモーヌ、

 死んだ闘牛士の顔から垂れる眼球

 殺した僧侶の眼球――玉子と呼び、えぐりとらせて、擬似出産の戯言を行うシモーヌ

繰り返し、繰り返し



そうすると、スペインの陽光も、闘牛も、太陽も、尻の穴も、なにもかもが暗喩に思えてくる。

その混乱と、暗喩に暗喩を重ねられる複雑さが、不思議な感覚をよぶ。

そのカオス――生の活力?―-をあざ笑うかのように、

シモーヌはサディズムと死を招き、暴力で読者の目を醒まさせる。



色のない世界。しかし、鮮やか。



書いていて、ちょうど読んだ少女マンガの台詞を思い出した (『ホライズン』 藤たまき)

神は――私たちの幸せを望んでいるのであって、マゾヒズム的犠牲を望まれてはいない。
清い生活を送っていても、心が暗く悲しい、ゆがんだものにしかならないなら――その人には修道の素質がないと言いますが・・・?


僧侶を誘惑するわ、犯すわ、殺すわ、死体で遊ぶわ、やりたい放題のシモーヌを読み解く、

取っ掛かりになりそうなんだが・・・

ここら辺でお手上げ! 分からねぇずら!




ジョルジュ・バタイユ(オーシュ卿) 『眼球譚 <初稿>』  河出文庫
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書いている人:せんちょう
こんな僻地にようこそです。

ここはチラシの裏。
英語読解は好きの気持ちだけで誤訳誤解ドント来い。
TF はお笑い方向に感想備忘録。

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